ママのこと 


 英語との関わり 
 
自分は英語を話すことで、素敵な人たちと出会え、素晴らしい体験をさせてもらった。 考え方も世界も拡がった。 日本も素晴らしい国だけれど、日本だけでなく、もっと広い世界がある。 それを知って欲しいし、どんどん飛び出して行って欲しいと願っている。  

小学生の時から他の言語に興味を持っていて、短い会話表現が紹介されている小さな本を買ってもらい、何度も何度も読む。 一番始めに覚えた英語は、"come here! "。 英語を使ってみたくて、海外ペンパルを紹介してくれるという団体に加盟するも、やはり手紙を書くのにはかなりの苦労し、なかなか続かない。 中学時代で英語に触れたのは授業のみ。 高校時代は宣教師さんがボランティアでやっている英語教室に毎週友人と通った。 ゲームやパーティーなど、素朴な雰囲気で楽しむ。 以後、短大の英文科に進学するが、勉強はあまり熱心な方ではなかった。 ただ、高校時代から、なぜか「勘」と「運」だけはよくて、英語の授業では予習もしていないのに、先生に当てられるとなぜか訳がアタッテいて調子にのっていた(?)。

会社の、所属部署は英語を使うことは少なく、転属を希望。希望が通らずすねて(?)留学を決意。 留学前の一年弱、英語教室にて英会話を学ぶ。 留学の為のTOEICもそのころ初めて受験。 それまでにないほど、必死で勉強する。 

アメリカで、英語力がぐんと伸びたと感じたのは、寮生活だった。ルームメイトも周りも様々な国から来ているので、自然と英語でのやりとりが増えた。 また授業の予習は新聞のような小さい文字のプリント100ページ・・猛暑でエアコンのない真夏・・真夜中まで勉強。そんな毎日だった。クラスメートで一緒に研究発表をすることになった男の子と英語でけんか・・なんてこともあった。 ドライブ旅行したこともあった。 勉強はかなりきつかったしとけそうに暑い夏だったが、私にとっては最高だった。 (ちょっと青春と言うには年取ってたけど)  

友人ができたことも大きかった。 日本に来たこともある男性だった。 彼は本当に頑張り屋で、いつも前向きで、尊敬すべきところも沢山持っていた。 
彼が多少日本語もわかるし、日本人の感情も少しは理解してくれるので話がしやすく、語学だけでなく、人としての考え方や本当に沢山のことを教えてもらった。 

ジャンクフードの多いアメリカで、毎日手作りの料理を作ってくれる暖かい家庭だった。 日曜日の夜は毎週鶏肉を丸ごと焼いてくれ、その味は一生忘れられない。 パパのWesが作るグラノラや、マフィンも最高! 英語の方も毎晩夕食の時間、キャンドルライトの元で、”Yoshiko, How was your day?" と聞いてくれて、5才のTaxiも含む家族全員が一日の出来事を話す。 心休まるひとときだった。 今自分が育児をする立場になって、Taxiが初めて「ママ」と書いたのを見て仕事をやめたというママの話や、5才のTaxiをとても愛して育てていた姿をよく思い出している。 

 アメリカに行く前は「めだっちゃいけない」という気持ちがいつもどこかに有って、「本当の自分はこんなんじゃないのに・・。」と自問自答する毎日だったような気がする。  でも、アメリカに行って、自分を持つことの大切さ、必要性、主張することの意義、本当の意味でも尊重、公平(Fair)を学んだ。 それまで自分が押さえつけてきたものが、一気に吹き出した感じでできることは全てやってやろう、とどん欲になった。  陶芸を学んだり、アラスカにオーロラ見に行って、マイナス40度を体験したこともあった。 そのままの自分でいて、それを受け入れてくれた人々がいたことも、大きな糧となって、日本であったしがらみのようなものが全てふっきれた。 
日本を離れてみて、友人や家族の大切さも痛いほど感じた。

 1年間という短い期間だった。 途中、会社を辞めてアメリカで勉強を続けたいと思ったが、「はっきりした目標もないのに無駄」という母親の辛辣かつ親切な意見で、心を決め、かえって一年間の間にできることは何でもしてやろうと思ったことで、2年分にも3年分にも感じるほどの充実した1年になった。 

 ママのママ:その母親だが、県で初めての女性ドライバーという頃に車の免許をとったり、40過ぎてからコンピューターの勉強をしたり(そのころはコンピュータはそんなに普及していなかった)、何かと自分を主張してきた人だ。 印象に残っているのは、私が高校生の時にアルバイトをして半日謹慎になってしまった。 親も呼び出されたが、母親は私のことを一切叱らず、「アルバイトだって必要な人生経験なのにね。」と言った。  私がアメリカで、たくさんアメリカ人にお世話になったからと、実家の軒で雨宿りをしていたアメリカ人の学生とお友達になり、食事に招いたりするような母だ。 ちなみに英語はほとんどしゃべれないが、英語をやることも、当たり前のようにみてくれている。 そんな母の姿を見て育ったことが今の自分の土台を作ってくれたことを、母親になってみて強く感じる。