ママの熱い思い



Genki English (2001/5/13)
今日は先生の主催するAETCのMonthly Meetingにが来るということで、参加した。 エンジンフル稼働で、活力みなぎる、熱〜い!二人に、釘付けになった。 自分が小学生の時にこんな人が来てくれたらなあ、と何度も思った。 自分はとってもシャイな子で、先生の質問にも手を挙げられない子でした。 そんな時、「失敗は、ブ〜!で終わりじゃなくて、もう一度ガンバロウの意味。Try, Again. 」なんてリチャードとウィルのように言ってくれる人がいたら、自分をもっともっと出せたんじゃないかな〜って。 小学校で、シャイな子、クールな子もいるだろうけど、これだけのテンポに引き込まれて、自分を出すきっかけをつかめるんじゃないか、そんな気さえする、Greatなshowだった。 
Target sentenceを絞って、歌を作っている。 コマーシャルソングみたいに耳に残る。 使わない英語は使わない。
とっても無駄がなく、ストレートパ〜ンチ! って感じの曲ばっかりだ。 オーストラリアのノリっぽい(失礼!) リズミカルな曲。 CDを買って帰ってさっそく娘と旦那と一緒に踊り狂ってしまった・・・。 乗れる、乗れる、Genki Englishは小学生向けと言ってますが幼児でも行けます。 
Genkiの二人は、国際理解も目指してやっています。 二人が最後に話したこと、とても胸に染みました。
彼らが学校に行くと、子供達はガイジン、ガイジンというけれど、それは差別。 英米人だけが良いように思っている人はおおいけれど、英米人は昔、アジアの人たちにすごく悪いことをしてきた。 だから、自分たちはそういう概念を変える為にやっている。 将来もし何かがあった時にも、一人一人の胸に「小学生の時オーストラリアとイギリスのお兄さん来て、いい人だった。」という気持ちを持ってもらえれば、日本人の考え方も変わっていくのではないかと。 そういう気持ちがあるからこそ、フリーで全国を回って、少しでも多くの人にふれあいたい、気持ちを伝えたい、と情熱を燃やしているんだとわかった。 


宣伝について

★英語を習うのは”駄目”なの? 
★教室に通う意味って? 英語を小さいうちからやらせる意味って? 

<メールより>
さて、今回、ママのご意見をお伺いしたく、メールさせていただきました。というのは、先日我が家でとっている朝日新聞に折り込まれていた「NOVA KIDS」の宣伝の中で使われている表記が、どうしても納得できなかったからなのですが。
 ご覧になったことはありますでしょうか、今のNOVA KIDSの宣伝では、一番上に「こどものうちに外国人講師で英語をはじめればだれでもバイリンガルになれる!」とものすごく「断定的」に書かれているのですが、はっきり言って個人差もあるし、
「どういう」レッスンを「どれくらい」受けるかによってまったく違うはずです。それを「だれでも...なれる!」と言い切るのは、思い切り誇大表現では。 もっと納得できないのは、右下の部分に「いくら英語がうまくても日本人の先生では、こどもの耳の形成のさまたげとなり、本物の英語の発音ができなくなってしまいます。」と書かれていることです。

 これは、十年以上英語教育に携わってきている「日本人」として看過できません。自社の学校が「全員ネイティブ講師」を売りにするのは一向に構わないとは思いますが、上記の表記ではおよそ「日本人英語教師全員」を否定していることになります。
「やっぱり発音はネイティブに習った方が」ならまだよいのですが、「日本人の先生」では「さまたげとな」るとまで書かれてはっ! これで、ママたちの毎日心がけておられる「英語での語りかけ」なども「さまたげ」となっていると言ってるような
ものです。しかも、日本人だって帰国子女などでネイティブな英語を話す人はたくさんいるはずなのに、「日本人の先生では」と一くくりにされてしまっては、これはある意味「人種差別」とさえ言えるのではないでしょうか。

 ...という旨の手紙を書いて、JAROに送りつけてみたのですが、ママさんはどのように思われますでしょうか。私は日本で生まれ日本で育ち、英語は日本人の先生から習い、留学の経験もありませんが、まぁ不自由なく英語で仕事ができてるとは思います。発音も、アメリカ人から「おまえ、日本語うまいな」と言われたことがある程度にはなってます(実はちょっと自慢)。

 私一人が、特に気になるのかも知れませんが、この「日本人蔑視」な広告に腹を立てるのは私だけなのか、それともママさんたち若いお母さんが見ても違和感を覚えるものなのか、ご意見をお伺いしたく長々とメールしてしまいました。もしよろしければ、サークルの他のお友だちなどにも意見を聞いていただけるとありがたいのですが。

<私の返事>これが、残念ながら、タイミング悪くパソコンが壊れ返事のメールが消えてしまいました。 思い出してちょっとだけ書いてみます。
「ネイティヴって言ったって、いろんな英語があるのに、何がネイティヴかなんて線は引けないと思うということ。
あと、いつまでもネイティヴ神話にこだわっていると日本の英語のレベルは変わらない。 できることから始めようと家で話しかけをしていることで、どれだけ英語に親しめる子が増えていることか・・。 そういうお母さん方の努力が日本の英語を変えていくんじゃないか」 、ってなことを書いた気がします。 

<返事> 
 さて、例のNOVA KIDSの件に関してJAROから連絡が来ましたので、お伝えいたします。返答はファクスで寄せられまして、それによると「同様の苦情(日本人講師はダメ!に関すること)が3月下旬時点でJARO関西事務所に来ていた。その旨をNOVA大阪本社広告事業課課長 に伝えたところ、次回の折り込みで再考させるとの由。今回改めて問いただしたら、テレビCMでは『ダメ!』という表現は使用していない。折り込み広告に関しては『ダメ』という表現を早速改めたとのこと。だれでもバイリンガルになれる!が誇大広告ではないかという点については、あらたな苦情として伝えた」とのことでした。

 やはり見る人が見ると同じように感じるものなのですね。でも、NOVAの物量作戦で、すでに多くのお母さんがあの広告を目にしてしまい、「やっぱり日本人はダメなんだ〜」と刷り込まれてしまっていたとしたら、罪は大きいですよね〜。子どもに英語を教えたくて、でも自分は自信がなくて...というお母さんが、どんどん「自分は話さなくなって」しまう気がします。本当は、ママのおっしゃる通り間違いながらでも親が積極的に英語を使うことによって、子どもは英語に対する興味を持つはずなのに!

> 英語って、アメリカ英語や、イギリス英語でなくてはいけないんでしょうか。
> 私はそうは思いません。 日本英語があったっていいと思ってます。

 私もまったく同感です。「通じないほど発音が違う」となったらこれは問題外ですが、通じる範囲内の発音ができるならいわゆる「ネイティブ発音」である必要はないと思います。だいたい、ネイティブとか「正しい発音」というのは何を持って決めるのか、ということも突き詰めると分からなくなりますよね。一般に日本人が「ネイティブ」と思ってるのって、きっと発音的にはカリフォルニア英語かカナダ英語の、白人でしかもwell-educatedな人のですよね。私はわりとカリフォルニア英語なんですが、イギリスに行くと「何でおまえはそんなアメリカ訛りがあるんだ」とか言われます。

 アメリカ生まれのアメリカ育ちだって、変なたとえですが「ミシシッピの中華街で暮らしてる」とかだと、native English speaker であったとしても、日本人にとっての「正しい発音」とは大分かけはなれたものになると思いませんか?
 ひっくり返して日本語で考えてみれば、「NHKのアナウンサーが話す日本語」が正しくて、「津軽の80歳のばあちゃんがしゃべるズーズー弁」は「間違った」発音とでも言うのでしょうかねぇ。発音とか文法とかで考えると、もしかすると上の津軽の婆ちゃんより、ケント・ギルバート氏の話す日本語の方がNHKに近いかも知れませんが、それでも「ネイティブの日本人」じゃないからダメ! って言ってるようなものですよね、NOVAの言い分は。

 今の世の中の流れは、はっきり言って逆だと思います。ネイティブの発音を真似るのではなく、いかに自分の言葉として英語を話せるか、が問題だと思います。さらに、本当に大切なのは「どういう発音で話しているか」ではなく、「何を言っているか」のはずですよね。国連事務総長のスピーチを聴いて、「rの発音が弱いな、やっぱりネイティブじゃないからかな」などと思っている奴がいたとすれば、お門違いも甚だしいってもんです。

どこでどう間違えたのか、日本人は「発音コンプレックス」が強すぎる気がします。 とにかく、「間違えたら恥ずかしい」という意識が強い! だいたい、みんな自分が日本語で会話してるときに、文法も発音もNHKのような美しい日本語を話しているわけもないのに、いざ「英語」となると「ちょっとでも間違えたら笑われるのではないか」などと考えるのは、自意識過剰と言うか...やはりコンプレックスだと思います。
 
小さいうちから英語を習わせる目標は、「英語に対する変な先入観やコンプレックスを持たせないようにする」ことに始まり、「英語で人とコミュニケートする楽しさ」を身をもって感じてもらい、「英語が好きになってくれて、自分からどんどん学ぼうとする気持ち」を身につけられたら大成功だと思います。

★(ママ) 本当にその通りだと思います。 結局は英語だってお勉強部分もあって、そうなると本人次第なのですよね。 本人が、頑張ろうと思ったときの頭の中の英語のイメージが、楽しい学び方、経験をした子は楽しいイメージでお勉強も捕らえていける部分があると思います。

はっきり言って週に一回教室に通ったからと言ってペラペラになれるわけもないし、絶対に自分で地道に努力することは必要ですし。でも英語を好きになってくれたら、努力を苦労と思わないようになってくれたら、どんどん自分から吸収しようとして、後で振り返ってみると結果的に地道に努力していたことになる...という感じになるのでは。
そのためのきっかけというか、お子様に道をつけてあげるための選択肢の一つとして教室を利用してくれればいいと思います。教室でしか習えないこともたくさんあるし、もちろんご家庭でしかできないこともたくさんあるし、ゴールへ至る道はいくつもあると思うし。でもどうせ教室に通うなら、変なところを選ばないでくださいね、お子様が楽しめて、しかも「ああ楽しかった」だけじゃなくてきちんと英語が身につくところを選んでくださいね...というスタンスですよね。

★(ママ)そうですね。教室は神様ではないですものね。 
一人一人、子供だって性格も違えば興味も違う、だから教室に通うか、通わせないか、家でもやるか、やるなら何をやるか、一人一人全部違って良いはずですよね。 私から「こうしたらいいと思います」なんて言えた問題ではないんですよね。 ただ、お友達と一緒だからこそ、作り上げられる体験や、感情もありますよね。 
通うからには本当に誰かの意見に惑わされるのではなく、自分の目でみて、お子さんをみて、良いところを選んで欲しいなと思います。 




サイトで検索してみるとすぐに見つかった。
内容的には今までの英語教材と全く違って、地球の環境や民族のこと、英米だけでない国のこと、作物のこと、など取り上げている。 一見ちょっと難しそうな内容に思えるが、チャンツや遊びなどを取り入れて、理解しやすいように作られているようだ。 そのことを一人の友人に話した。 彼女は川崎に引っ越してきたばかりで、一緒にサークルを手伝いたいとメールしてきてくれた人だった。引越一週間も経たないうちに、連絡をくれ、バイタリティーのある輝いた人だった。 そしていつかは、小学生向けに英語でできるLearning Centerを開きたいという夢を持っていた。 彼女のやろうとしていることに大変近いGITCの内容。 それをみた彼女は、すぐにofficeにコンタクトを取り、責任者に会いに行っていた。 正にドンぴしゃだったのだ。 それをきっかけに彼女は出てきたばかりの実家に帰ることになってしまい、私にとってはさみしい結末となったが、彼女が川崎に引っ越してきた意味は確実に有ったのだ。 私も彼女との話の中で多くのことを確認することができた。私にとっても必要な出会いだったと確信している。 何故英語を? 国際理解ってどういうこと? など彼女との対話(会話でなく)の中でもやもやした物が晴れ、言葉となって出てきた。 そして、そのお礼として彼女の背中に新しい一歩へ羽ばたく羽を付けるお手伝いができたのなら、大変うれしいことだ。  実家に帰ることに決めた彼女は、残された期間、GITCに週3日通い、教材作りのお手伝いを始めた。 一方園でも、その教材をbreak downして園の活動の中に取り入れているようだ。 それは園のお便りでもみていたが、ある日、言動で気が付いた。 卵を混ぜながら、「earthみたい」と言ったのだ。 「地球のこと」と。 う〜ん、なかなか面白い。 
GITCの吉村峰子先生の著書を読んでいるのだが、英語で知っているコトを習うより、知らないことを習う方が子供にとってはずっと面白い、と書いてあった。  「英語を」学ぶのではなく、「英語で」学ぶのだ。 
吉村先生の旦那さまはNGOの関係で、いろんな国を渡り歩き、吉村さんもお子さんを連れて着いていく。 そこで知った、日本人に対する感情、聞いたことのない習慣や、国の事情などなど。 それを次々と教材にして伝えていくのだ。 世界には、裕福な国ばかりでなく、たまたまその国に生まれたが為に、食料不足、情勢不安の中で生きていかねばならない子供だっている。 そういうことを知って育った子供は、きっと本当の意味で人を傷つけたりする子にはならないのではないか、と友人と話した。子供は知りたがっていると私も思う。  自分が小さい時に、もっともっと外の国のことを身近に感じることができたらもっと新聞のニュースなど感心を持ってみられただろうに、と思う(今からでも遅くはないのだが)。 小学生の時、一人一国を選んで研究し、一枚の新聞にまとめて発表するという社会の授業があった。  私が選んだ国は南アフリカ、まだアパルトヘイトのひどい頃だった。 差別など知らずに育った自分は、ものすごくショックだった。 それをみんなに伝えたくて、一生懸命まとめて、発表した。 シャイな私がその時だけは頑張った。 その時のことは今でも忘れない。 GITCは、そういう体験を繰り替えししていけるような教材を提供しようとしているとなると、やはり興味がわく。 
たまたまGenkiセミナーで本を出していたら、「私吉村先生の教材使って居るんです。」と声をかけてくれた方が居た。 取り上げている内容の中には自分も知らないこともあって、とても苦労しているけれど、子供と一緒に学んでいけるとおっしゃっていた。 知っていることを教えるのでなく、一緒に発見していくことで、感情も分かち合えるのがまたいいんじゃないかと思った。 2001年の夏のセミナーには参加してみたいと思っている。 


どうして英語なんだろう? 
英語をと思ったきっかけの一つは、友人の家のお子さん(10ヶ月早く生まれている)といつか会わせたいと思ったこと。  その友人はシアトル時代、大変御世話になった方。 でも英語、英語とやっているうちに、そんなことは忘れてしまい、インタビューなどで聞かれて、「どうしてだっけ?」と思い直す。 いろいろ考えて出てきた結論は、英語を使えることで、世界が拡がる。 いろんな国の人と会ったり、文化、考え方にも触れられる。 その中で、自分が一番自分に有っていると思うことを選んで行けばいいと思うのだ。 そうして自分自身を確立していけば良いと思うのだ。 そのためには、なるべく多くの選択肢があった方がよりいいだろう。 そのことに英語が役に立つのではないかと思っている。 
日本にいるとどうしても限られた文化、固定観念などもある。 私の場合、アメリカにいったら、すごく気持ちが開放された。 日本より自分を表現しやすかった。 男で有りながら、中身は女の人という人がいるように、日本人でありながら、アメリカが性に合ってるっていう人もいると思う。  考え方などは、日本流、アメリカ流って決めなくても、いろんな考え方から、自分なりのものを作っていったって良いと思う。 一人の個人なのだから。  
ただ、日本人とみられていくことを思うと、やはり自国については、しっかり伝えられるよう、有る意味での誇りは持って欲しいとも思っている。 (ちょっと欲張りですね・・。) 

ただなんとなく英語で苦労させたくなくて、それでも子供が楽しんでやっているうちは、全然構わないと思う。 英語に力を入れてるのが特別かって言ったら、英語で読み書きしようと、日本語でも詩を作ったり、作文書いたりするのが好きな子、、お話読むのが好きな子がいたりするのと一緒だろうし、英語の幼稚園に入れているっていっても、公文に力を入れてたりするのと対して変わらないだろうし。  ただ、教室に行っているからお任せ、子供にだけお勉強、っていう感じよりも、生活に取り入れて、ママも一緒にやろう的な方が、子供の興味を長持ちするのは確かだと思う。 

いつから始めたの?
英語をと思ったとき、日本語と同じように英語も覚えていって欲しいと思った。 日本語が先行してしまうと、入りにくくなると思い、日本語と英語でつまり母親が2倍話しかけをすれば、同時に覚えていってくれるんじゃないかと。 News Weekなどに寄ると、胎児の時に聞いていた言語というのは認識しやすいらしいので、生まれてすぐ既に1年は遅れを取っている訳だけど、それでもまだまだ行けるんじゃないかと思った。 実際、英語をなんて思ったのは10ヶ月の頃だったが・・。
よく「うちの子3歳で、もう英語を始めるには遅いかも知れませんが・・」などとメールが来る。 いや、上記のようなことを書いてしまうと遅いと思う気持ちを余計不安にさせるようだが、今現在の私は、また少し違ってきていて、3歳からでも、もっと上からでも充分と思っている。 子供の興味次第だと思うからだ。 3つ子の魂100までと言うけれども、それもあるけれど、本人の努力次第で、変えられる、実現できることはたくさんあると思う。 性格だって、遺伝もあるけれど、その遺伝した因子を強くするか、弱くするかはその後の環境にによって変わってくると言われている。  英語を小さいうちに話せるようになっておくと便利なことも一杯あると思うけれど、年齢を追うにつれて、子供自身が何のために?と思い始めることだろう。 そうなった時にMotivationとなるものを見つけられたら、本当に英語が自分のものになっていくのだろうと思う。 





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